アスペルガー夫との苦痛すぎるイベントの日を幸せに過ごせた極意

先日のクリスマス、私は夫(アスペルガー診断済み)と結婚してから初めて心穏やかに過ごすことが出来たイベント事でした。

それは私にとって本当に本当に奇跡的で、幸せで喜ばしい出来事だったのです。

 

そのためにしたこと、それはたった一つの事でした。

 

基本的に、アスペルガーはイベント事に興味が無い

そう。この事実こそ、私をずーーーっと苦しめてきた要因の一つでした。

クリスマス・誕生日・お正月・色んな記念日・年間行事のあれやこれや・・・

小さい頃から楽しみで大好きだったイベントの全てが、夫と結婚してから苦しみに変わりました。

 

特別感なし。

大事にされてる感なし。

プレゼントもなし。

私だけ準備しても、何も返してはもらえない。

毎年私からされるから仕方なくするという義務的な感じ。

出来ればあげたくないという表現。

でも「するつもりはあるんだ」と口では言う←超イライラ

 

※毎回自分の誕生日が悲しすぎて離婚したくなる話はこちらにまとめてあります。

 

 

何度も、何年も、イベントの度に落胆し喧嘩を繰り返しても

苦しみ悲しみ訴え、直して欲しいところを箇条書きにしても

「したいと思えない事」には一切頑張れない夫の特性から、改善されることはありませんでした。

 

その度に傷つき、落胆し、怒り、虚しさでいっぱいになり、そして「無」に行きつき、「アスペルガー化」して心を閉ざしてきました。

カサンドラ妻がアスペルガー化して、まるでアスペルガーのようになってしまう妻の話はこちら

 

それでも私は楽しく過ごしたい気持ちを諦められなくて、もがいていました。

こっそりカードやプレゼントを用意したり、おいしいディナーを作ったりケーキを予約したり・・・

 

だって、私の中で最後の砦だったんですもの。

普段、会話が噛み合わず、心が通じず、心ない発言を山ほどされ、罵声を浴びせられ、ズタボロに傷付いた心があったとしても、ここで諦めてしまったらもう「無」しかなくなる・・・と。

 

「無」とは違う、「やめること」

結婚してから、友達に夫との生活で苦しい事を話すと、「そんなのみんなそうだよ。諦めたらいい。期待しなきゃいい。」と何度も何度も言われてきました。

 

でも私にとってイベントの日を楽しく過ごすことは夫婦の醍醐味であり、お互いを喜ばせたいと思い合う気持ちを「諦める事」は、怒りからの延長の行為であり、心を閉ざすことの究極地点であり、完全に「終わり」を意味する言葉でした。

 

しかし先日夫に離婚宣言をした私は、自分の中で何かが吹っ切れたようで(笑)

(簡単に現状説明しますと、離婚宣言して夫が死ぬほど頑張って特性を改善しようとしている話はこちらに書きましたが、「次にもう駄目だと思ったら別れるから、もう一度だけ本気で頑張らせて」と夫に言われ、やるだけやってダメだったならお互い納得できるしと思って現在、様子見中な所です。)

 

今回のクリスマスでは、これまで求めていた全てをやめ、夫にしていた事全てをやめました。

  • クリスマスカードは準備しませんでした。
  • ケーキは、1か月前に娘が欲しがったしまじろうのケーキを注文してもらいました。(指示済み)
  • プレゼントもあげるつもりがなかったのですが、たまたま通りかかったお店に超モコモコのすごく暖かいパジャマがあったのでそれを買ってあげました。高価なものは一切あげませんでした。
  • 私はプレゼントはいらないと本当に思いました。性能のいいドライヤーが欲しかったんだけど、それは家族みんなが使うので家電経費として買うってことでいいんじゃない?という事をいいました。(でも結局買ってくれませんでしたけどw)
  • クリスマスイヴのディナーはあえて何も買わず、パスタに青の洞窟のパスタソースをかけるだけ(笑) …あとは前日の残り物。

 

・・・これら全部、やってることは「無」や「アスペ返し」と変わらないのかもしれないけど、その背景にある心の状態が全然違って、私自身ビックリだったのです。

 

アスペルガーなんだから、本人に興味が無い事はできなくて仕方がない。

夫の、徹底的にやりたくないと取れてしまう行動に、何の意味もない。これらは悪意ではない。

 

夫は私とどうしても離婚したくなくて、これだけ「頑張る!!」と宣言しても出来ないんだから、もう無理な事なんだと

ようやく、

ようやく、

よーうやーーく、吹っ切れたんだなぁ。私。

 

 

どうせプレゼントを買ってくれても彼らの心はやってもやらなくても同じ。

お店を予約してくれても、クリスマスカードを用意してくれても、彼らにとってそれらは

「愛や感謝を伝える手段」ではなく、言われたからやっただけの事。

 

なら、もういいやって。

怒りからの諦めではなく、夫の特性を理解したからもう不毛な争いをするのはやめようと思えた新境地でした。

 

日本語をちょっと細かく考えて表現してみると、私のこの新境地は「諦める」ではない。

諦めるというと、本当は欲しかったのに意図してないのに気持ちを引くしかなかった感じですよね?

でもこの感じをあえて言うなら、手放すとか、解放するとか、解き放つとかww、イメージ的には清々しいやつ(笑)

 

 

もう、いらないよ。

これまで私は頑張って求め続けたけど、これらが無くなったら怒りと虚しさでおかしくなるだろうと思ってずっとしがみついてきたけど、そこに幸せはないんだとようやくわかったよ。

だから、さようなら。

もう自由になっていいよ、私。

 

って。こんなかんじ。

手放してみたら、驚く程心が軽くて幸せだった。

 

なんか私そろそろ、悟っちゃう系?(笑)

 

夫に対しても怒りなんて無くて。

むしろ(娘のついでだけど)私へのクリスマスカードを用意してくれていただけで充分嬉しかったんです。

ありがとう。

 

私も買いだめしてた100均のクリスマスカードに娘とメッセージを書いて夫に渡したら、嬉しそうにポッケにいれていました^^

 

カサンドラにはやっぱり段階がある

これね、カサンドラの段階をある程度乗り越えた後だからこそできたことだったかもしれないと思います。

カサンドラ症候群には段階があるって言う話はこちらにまとめてあります。

 

諦めるなんて、カサンドラ初期の頃では絶対出来ないんだな。

普段から違和感だらけ、心が傷つきまくって苦しくて虚しくてどうにもならない時、せめて形だけでも心が欲しくて、心のこもっていないプレゼントとわかっていてもそれでもいいと思うほど、もがき苦しんでたからな。

 

あの時、諦めろなんて言われても無理だったわ!!!

むしろあの時諦めていたら、本当に怒りと空虚感でいっぱいになるだけだっただろうな。

 

子供の頃から楽しかったイベント全てが、結婚した後苦しみに変わるなんて、ありえないもんね…;;

 

おわりに

だから、カサンドラ仲間の皆さんが今「手放し悟り系(笑)」にならなくても、全然いい!!!と思います。

でも、勇気を出して「求める気持ち」にサヨナラしてみたら、思いのほか幸せだったという話。

 

手放さなくていい。

しがみついてたっていい。

でも、手放してみてもいいかもしれないよ。

時期が来たらね。

手放したくなったら思い切ってやってみたらいいよ。

思いのほか、ハッピーな気持ちになれちゃうかもしれないよって・・・そんな感じで伝えたくて。

 

 

ちなみに、クリスマスの次の日(26日)に、私は娘と実家に帰ってきています。

もちろん夫の家には行きません。(夫の実家と縁を切るよって話はこちら

いい嫁やめて、求めるのをやめて、清々しく新年を迎えられそうです。

 

夫は全く連絡すらしてこないけど、これが私たち夫婦のカタチw

ストレスフルになるなら、次こそ気持ちよく別れます。

 

あー、なんかいい年末だ(笑)

 

カサンドラ仲間の皆様、今年から始めたこの気まぐれ更新のブログをいつも温かく応援してくださり心より感謝致します。

ありがとうございます。

 

今年は本当に本当にお世話になりました。

来年も何卒よろしくお願い申し上げます。

 

そして、これを読んでくださった全ての心の友が、幸せになれますように!!!

とりあえず、宝くじ当たれ~~!!(笑)

みんなにどーんと当たれ~~♪♪♪

 

今回も、最後まで読んでくださりありがとうございました^^

最新記事をお届けします(^_-)-☆