結婚する前はまだ私を手に入れたくて必死に頑張っていた夫。
違和感を感じ、寂しいながらもまだ楽しいこともあった。
でも、結婚してからは嘘のように
『釣った魚に餌はやらない』状態に…
そう、スイッチが切り替わったのだ。
外側の人間から、内側の人間へ。
でもあの頃はまだ、愛したかったし愛されたかった。
何もかもが変わった
嘘でしょ?と思うほどの変貌ぶり。
当時、夫へ送ったメールが保存されてた。 (笑)
あまりに長すぎて後半全部端折ったけど ↓↓↓
この先、こんな関係が続くのならやっていけない。
笑いもなく、会話もなく、デートもイヤイヤされて興味もなく、相手のために何かしてあげたいと思う気持ちすらなくなるなら、もう一緒に生きていく意味はないと思う。
こんな状態ならお互い、支え合えないし。
結婚したら終わりなの?
なら、幸せにするからと言ったあの意味は何?
嫌がる私をそれでも必死に引き止めたのはなぜ?
こんな風にするなら、なんであの時手を放してくれなかったの?
私はあなたのお母さんになるのは嫌だよ。
いつも笑い合ってお互い支え合って楽しく生きていきたいよ。
あなたと買い物したりするの、好きだったのに。
気に入るもの探している時、あんな全然何もない空見てボーっとするか?
全く笑わないし、早く帰りたいをアピールされるし、それってひかりといても楽しくありませんの行動だよ。
…努力しないと楽しい家族なんて作れないんだよ。
外ズラばっかりよくして気を使って、家で笑いもないつまらない時間を過ごすなら、一人でやって欲しい。
私、もう積もり積もって嫌なんだ。性格変わってしまいそう。
もう、限界…
当時の私のメールより
新婚当初から、全然楽しくなかった。
信じられないほど会話はなく、もちろん会話はしてもかみ合わず、わけわからんところですぐに彼は切れた。
あの頃の私にアドバイスできるなら、『とにかく別れなさい!』と言ってやりたい(笑)
記憶が無くなるようになる
結婚してから毎日、実家の母に泣きながら何時間も電話をかけて話を聞いてもらっていた。
母はひかりの考え方を変えなさい、仕事しなさい、趣味を作りなさいと私を楽にしようとたくさんアドバイスをくれた。
私は母にたくさん支えられていたけど、でもやっぱり夫の違和感をあまりわかってもらえなくて辛いとも感じていた。
しかしある日、母が帯状疱疹になった。
かなり酷い状態で、完全にストレスによるものだった。
そして
母 『もうひかりの悩みを聞いてあげられない。ごめんね。私は心配しすぎて本気で悩みすぎて、自分が参ってしまうわ。だから、友達に相談しなさい。』
と言われた。
泣いた。泣いて泣いて泣きまくった。
私のせいで母を病気にしてしまっていることも辛かったし、もう話を聞いてもらえない。私は誰に話せばいいの?
こんな、いつも夫の愚痴ばっかり言ってる人なんて、みんな嫌だよ。
と、行き場のないストレスでカサンドラ状態が加速度的に進行した。
私は誰にも言えなくなって、その日から猫を抱きながら泣く日々になった。
そして、いつからだろう?
夫の記憶だけが消えるようになった。
暗くなってふさぎこんで家でただただ泣く日々に、ストレスが限界を超え、自分を守るために脳が動き始めたのだろう。
夫の悪い記憶だけが、スコーンと抜け落ちるのだ。
昼から友達とランチだから、今日の朝に起きたありえないエピソードを絶対に愚痴ってやる!!!と思っていたのに、昼には思い出せなくなるのだ。
どう頑張っても、もう何があったのか全く思い出せない。
それは、例えるなら
旦那の記憶の周りにだけものすごく濃い霧がかかって、その記憶にアクセスできなくなる感覚だった。
そして、その”記憶が無くなるスキル”?は、どんどん精度が上がって、今では数分もたたないうちに思い出せなくなる。
そして、脳からアドレナリンみたいなものが出て、すごく楽になるのだ。
脳が私を守ろうと動き始めたのはこの頃だった…
ニンジンをぶら下げてる間はよかった
私たちの夫って、付き合ってる時は、「別れたくないから」がんばってた。
結婚したての頃は、「子供を産んで欲しいから」何とかがんばってた。
子供ができてからは「完全に内側の人」になり、もう頑張るのをやめたよね。。。
そんなかんじ。
子供が欲しくて欲しくて仕方なかった彼は、ずっと私を説得し続けていた。
でも私はもともと子供が好きではなかったし、こんな夫との間に子供ができたら別れられなくなると思ってずっと拒否していた。
でも、ある時誓約書を書くから!ということで同意して子供を作ることにした。
私の心の中で、彼はこれだけ子供が欲しいんだから、もしかしたら変わってくれるかもしれない!という望みが確かにあった。
当時はまだアスペルガーを知らなかったし性格の問題だと思っていたから。
流産してる妻よりiPhoneのアップデート
子供を作ろうと思ってからは、今の生活が辛すぎて、まだ見ぬ子供へ何度も助けを求めて泣いていた。
子供は好きじゃなかったけど、何よりこの苦しい夫婦関係からなんとか逃れたかった。
子供ができたら夫が変わってくれて、家族みんなで笑える人生が待ってるかもしれない!と藁をも掴む心境だった。
そしてその半年後、私は妊娠した。
こんな私のところにも赤ちゃんが来てくれるなんて!と本当に嬉しかった。
妊娠5週、私の父方の祖母が亡くなり、お葬式があった。
まだ早いとわかっていても、落ち込む父を励ましたくて、家族に妊娠していることを告げた。
家族は心から大喜びしてくれて、本当に嬉しかった。
しかし、なんと実家から帰ってきたその日、私はトイレで大量出血した。
化学流産だったと思う。
でも、待ちに待った私の赤ちゃんを失なった。
両親を喜ばせたばかりなのに、いなくなった。
トイレで泣き崩れて、身動きが取れなくなった。
夫は隣の部屋にいたので、泣きながら『流産したかも』と告げに行った。
夫は無視。
『ねぇ!』ともう一度呼んでも無視。
『どうしてこっち向いてくれないの?』というと、
夫 『あ?今iPhoneのアップデートしてる!無理!』
と切れられた。
悲しみすぎてどうにもならなくてベッドの部屋で横たわりながら泣いていた。
するとしばらくして夫が入ってきて
夫 『ひかりちゃんはいつもタイミングが悪いんだよ!』
と私を責めた。
…流産にタイミングなんてあるの?
もう、わけがわからなくて辛すぎて泣いた。
その日、夜中に陣痛があって数分毎に凄まじい痛みが襲ってきたんだけど、その間夫は隣で大いびきをかいて寝ていた。
もちろん興味のない夫は、どんなに起こしても起きなかった。
その後1か月落ち込むも夫は理解できず
赤ちゃんを失った悲しみが全く癒えなくて、私は1か月間ずっと泣き続けた。
涙が勝手にあふれてきて、一日中泣いていた。
あんなに子供が好きじゃなかったのに、自分でもびっくりした。
毎日私の家族が電話かけてくれて励ましてくれた。
こんなに落ち込んでばかりいちゃだめだとわかっていても、涙が止まらなかった。
そんな私を夫は全然理解できずにいた。
会社から帰ってきてふさぎ込んで泣いている私に、
『どうしたの?なんで泣いてるの?え?まだ悲しんでるの!?大丈夫だよ、死んだら土になるだけなんだから。』
そう言って毎晩隣の部屋でお笑い番組を大音量で流しながら、ビールを飲んで大爆笑していた。
2人の子を亡くしたのに、夫は一緒に悲しんではくれなかったから、余計に立ち直るのに時間がかかったのかもしれない。
これ書きながら何度も思うけど、『この時気付けよ、離婚しとけばよかったのに!』と思うわ(笑)
そして二度目の妊娠
あの流産から立ち直るには、どうしても子供を作るしかなかった。
あんなに酷い態度されてるのに、どうしてまだ希望を持っていたのか?!
我ながらアホとしか思えない(笑)
あれから8か月後、もう一度妊娠して、今の娘を産むことになる。
悪阻中ももちろん関心なし
私の悪阻はそれはそれは激しくて恐ろしいものだった…
10カ月、産むまでずーっと悪阻。
分娩台に乗っても吐きまくってたほど。
後に食中毒でのたうち回った時、この感覚!悪阻と一緒だ!!と思った。
あれの、下痢だけ無いバージョン(笑)
毎日辛すぎて殺して欲しいと心で願い続けるほど苦しかった10カ月。
夫は優しい言葉をかけるわけでもなく、
腰をもんでくれるわけでもなく、
とにかく流産したときと同じでいつも隣の部屋でビール飲みながらソファに寝っ転がってお笑い番組見て爆笑していた。
夜中、どんなに隣で何度もゲーゲー吐いていようが、怪獣ですか?と思うほどのいびきをかいて寝続けていた。
背中をさすって欲しいと言えば眠いと言われ、
腰をもんで欲しいと言えば、俺も疲れてるから俺ももんでくれと言われた(笑)
妊娠中はとにかく夫の冷たい態度が悲しくて、喧嘩ばかりしていた。
でも、この妊娠の後半に実家の母が
『もしかしたら夫くんはアスペルガーじゃないかな?と思うんだ。この前テレビでやってて、あまりにも同じような感じだったからびっくりしたんだよ!』
と電話で教えてくれたのが、アスペルガーを知ったきっかけになった。
それを知った日はショックすぎて辛かった。
これまでありえないと思ってきた数々の出来事は、全てこの脳の障害のせいだったんだ!!!
彼の性格が悪いからではなかったんだ!!!
どうしようもない、仕方のないことだったんだ!!!!!
と、夫を抱きしめてワンワン声をあげながら大泣きしたのを覚えている。
夫はこの時もわけがわからず泣く私をよそに、グーグーと寝ていた(笑)
今までの点と点がひとつの線で結ばれた瞬間であり、この先治ることは無いんだと落胆した始まりの時でもあった…
そして、忘れもしない、到底理解できない壮絶な出来事”食中毒事件”は次回書くことにします。
ここまで読んでくださってありがとうございました。